トルコ紀行

種まきおばさんの不思議旅

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旅行日・・・2008年9月25日〜10月2日
阪急交通社クリスタルハートの団体ツアー
一行14名

その1

なぜか魅せられていたトルコ。東西文明が交錯するところ。数千年に渡る壮大な歴史の中で、古代ギリシャやローマ帝国時代あり、ビザンチン帝国、強大な権力を誇ったオスマン帝国時代あり。そして今、トルコ共和国。
キリスト教の時代、それが迫害を受けた時代、そしてイスラム教の世界。
イスタンブールはビザンチウム、コンスタンティノープル、そしてイスタンブールへと、時の支配者によって名前が変転。
長い歴史の中で興亡を繰り返し、多様な文化をあわせもつ国。
豊かな大地、自然の神秘と驚異。

ヨーロッパはフランス、イタリア、ドイツ等よりも先にたねまきが選んだ旅先はここ、トルコでした。でも、ヨーロッパというのかアジアというのかいまだにわからないけれど。イスタンブールはヨーロッパ側で主に旅したのはアジア側です。


夜10:30関西空港発 トルコ航空直行便でイスタンブールへ。飛行時間13時間、 時差はマイナス6時間(夏時間)

 真夜中のディナー
しっかり夕食を済ませて乗ったのに、まもなく食事が出ました。真夜中午前1:10。
食べられないよと言っていたら、ん?なにやらよいにおい。、まあ、一口・・・
それがまたおいしいのです!
“fish”とはウナギでした。ひつまぶし風を洋風にアレンジしたもの。
おいしすぎて写真を撮り忘れました。(>_<)

イスラム教の国ではポークは×ね。
Our meals do not contain pork products.
はいわかりました。


トルコへ行くとき万里の長城が見えると聞いたことがありましたが、夜の飛行でした。飛行のモニター画面を見ると確かに中国、モンゴル、天山山脈から黒海を通っています。見えないけれどなにかうれしい(~。~)

イスタンブール
早朝(日本時間は昼前)イスタンブール着。オーストラリアと違って入国審査はサクサク進みます。「入国カード」を書くこともいりません。
まわりでさかんに耳にするのは語尾さえも聞いたこともない言葉ばかり、ああ〜ちんぷんかんぷん。そんななかで赤ちゃんが「わーん」と泣き出しました。これならわかる!泣き声に妙にうれしくほっとしたのでした。


ラマダン
この旅行中はちょうどラマダンというイスラム教の断食の時期に当たっていました。(月の満ち欠けにより開始日が決まるので毎年同じではない。今年は9月1日より始まり9月30日に明けた。)9月25日発のツアーはイスタンブールでの滞在日にグランドバザール、エジプシャンバザールがお休みに当たるのでバザールのお買い物はできないことを事前に知らされていました。残念でしたが日程の関係でこのツアーを選ぶことになりました。でもその分イスラムらしさを見、味わえる時期でもあるのです。
トルコのイスラム教徒はスンニ派で、人口の90%という本もあれば99%とかいていたものもある。ガイドさんは95%以上と言っていた。いずれにしても100%に近い数字であることに間違いはないでしょう。
ラマダンについては花日記に書いたのでここにコピーしておきます。
 95%がイスラム教徒のこの国では、ちょうどラマダンという断食の月で、日の出から日の入りまでいっさいの飲食を絶つ時期でもありました。アラブほどではなくトルコではかなり自由もあるとガイドさんの説明がありましたがやはり多くの人は謹んでいたようです。家の前に椅子を持ち出し、座って談笑したり所在なく、力なく?通りを見ていたり・・・そんな人を多く見かけました。ホテルのレストランの夕食は日没後働いている人がまず食べてからなので私たちは7時半から夕食というパターンが多かったです。
一転、9月30日、ラマダンが明けて街はお祭りムード、どっと人びとがあふれかえりました。上の写真です。どこを見ても人、人、人。大変なにぎわいに圧倒されました。
イスラム教徒は断食を通して持たざるものの気持ちを理解し、善行を積み、感謝する精神修養の期間だそうです。

(ラマダン明けの人びとと街の写真は旅の最後イスタンブールの所に載せます)

トルコの旅

その1・・・赤線   イスタンブールからアイワルクへ


夜明けのイスタンブールは曇り(少し雨?)やや蒸し暑い。
大型観光バスが走り出した。初めて見るトルコの景色。広い、広い耕地。
トルコ、初めての写真


虹のお出迎え。端から端まで半円が全部見えた。こんな虹を見たことがあっただろうか。

 
        

ガイドはジワンさん。「ジーさんと呼ぶのはやめてください」だって(笑)。このひと日本人とかわらない話し方をします。アクセントも発音もgood。年のころは30代後半?日本に住んでいたことがある?と聞いてみたらないと言う。へぇ〜その日本語はどうやって?アンカラ大学の日本語科で4年勉強したそうです。私たちは中学から英語を習っても話せないのに・・・
あとで出てきますが、日本のことわざまでいっぱい知っています。使い方もぴったりのシチュエイション。たとえば「(人間万事)塞翁が馬」。日本人より日本人らしい(@@)
8:50 初めてのトイレ休憩。トイレは普通有料で50クルシュ、1リラ(約90円)の半分。イスタンブールの空港で両替したら大きいお札が多くて失敗。(関空ではトルコリラへは両替できません)再度小さいものに替えてと注文すべきだった。1リラのコインはのちのち大変重宝することがわかる。
なにはともあれ、お金を崩さないとトイレにも行けやしない(>_<)


どの町にも立派なモスクがあった。

 
トルコの民家はこんなです


 
耕地が広がる。手前の草地はもう枯れ色。これでは野の花に会えそうもない・・・

トルコの面積は日本の倍、人口は半分。広い耕地で機械化された大規模農業が行われている。石油以外は自給自足ができているそうで、なるほどとうなずく事ができた。石油はお隣の国にあんなにあるのに、出ないのですね。ガソリンはリッター300円超えているというから、遠い日本よりはるかに高い。不思議。。


イスタンブールからマルマラ海にそってヨーロッパ側を走り途中フェリーに乗ってアジア側に渡り、南下。トロイの遺跡をめざします。
フェリーに乗る前に港のレストランで昼食。トルコ料理のキョフテ、おいしい〜♪ デザートの青いリンゴは皮付きのまま、まる1個。食事に出たナイフではむくのがとってもむずかしい・・・苦労しながらなんとか食べた。

Geliboli(ギリボリ)からLapseki(ラプセキ)へフェリーで渡る。約30分。


 
 香ばしい匂い                                海に突き出たレストラン フェリーから

 
私たちが乗っているのもこんな船            対岸の町


フェリーの甲板は暑くもなく寒くもなく、空は青空。美しい風景。椅子の席をつめて、西欧系のおじさんを座らせてあげた。
お仲間と話している言葉を聞いても何語かさえもわからない。どこから?と英語できいてみたら、ネーデルランド。あなたは日本人だろ?イエース。これからどこへ行くのかというからトロイと答えた。おじさんはどこか別の場所?
地図をさしてDikili. きっとベルガモン遺跡の方へ行くのかな?

西にエーゲ海が広がる。青い海。やっぱりヨーロッパじゃないか。そう、ギリシャはすぐそこにあるのよねえ。
トルコは西にギリシャ,西北にブルガリアと接しています

トロイの遺跡
 紀元前3000年から紀元400年まで興亡を繰り返したトロイ。同じ場所に9層の都市遺跡が重なっているのでわかりにくい。
発掘された石積みの城壁、彫刻が施された石柱の壊れたものが無造作に転がっている。
ホメロスの叙事詩『イーリアス』(紀元前800年頃)に書かれたトロイ戦争(紀元前1200年)の舞台(第7層)。
シュリーマンによってこの古代都市遺構が発掘され確認された。
 
 
悠久の歴史にタッチ

 
彫刻の施された石がごろごろ
 
このかたガイドのジワンさん ラマダンは関係ないようすでしたね。
1〜9層を示しています。複合遺跡。
いけにえの儀式が行われたところ
円形劇場もあった(@@) おや、この文字は?
 
石に彫られたレリーフも円形劇場も・・・古代ギリシャやローマの遺跡と似ていますね。


入り口近くに伝説の大きな木馬が再現されている。でも復元に当たって、この大きさ、形、の根拠は確かなのだろうか?

トロイの木馬伝説とは   トロイ戦争はBC1200頃
美しい女性、ギリシャの都市国家スパルタの王妃ヘレネを巡ってギリシャとトロイとの間で戦争。ギリシャ軍が巨大な木馬をつくりその中にたくさんの兵士を偲ばせ、奇襲をかけトロイは落城したというもの。


 
「トロイの木馬」、そういうウィルスがはやったのはわりあい最近のことでしたね。

私は花の姿も探すので忙しい。みんなに遅れないよう小走りで追いかける。
私たち一行はイヤホンを渡されていて、ガイドさんの声が無線ではっきり耳に届く仕組みだ。「耳太郎」という。これはたいへんよかった。ただガイドさんの声が直ぐそばで聞こえるので近くにいると安心してしまって迷子になるひともいるらしい。

 
 
 
遺跡にひっそりと咲く花

この花はチコリと判明
BBSでともさんに教えていただきました。澄んだブルーがとてもきれい。

再びバスに乗った。

一帯は畑が広がりよくみるとトマトの栽培らしい。らしいというのは日本では、うちの畑もそうだがトマトは支柱を立て背を高く立体的に栽培する。ところがここでは支柱はしている様子はない。赤い実が見えて、そのうち収穫したものが箱に詰められトラックに乗せられているのを見た。さらにいくと道端でテントやトラックの荷台で産直の!トマト、スイカ、カボチャなど売っていた。

ホテルの食事に出たトマトは完熟で美味。生水はもちろん、生野菜も水が日本人にはあわないから避けた方がいいとの添乗員さんの忠告があったけれど、ブドウがおいしそう、トマトも食べたい・・・だんだんみんな「チョットだけ」と食べるようになっていきました。終わり頃はもう大胆に・・・(笑) ミネラルウォーターは毎日1本ずつ旅行社から支給されます。これも飲みきれなくて、たまっていくと重いし・・・

赤い実が見えるかな?

 


エーゲ海を見ながら山を越えた。向こうに薄く見える島はなんとかいうm(__)mギリシャの島だという。

エーゲ海

見えてきた町は別荘地として人気が高い
その町に到着。
 
こういう風景は楽しいね。生活が見える。


 
トラクターのおじさん 荷台のグリーンは何?       両側にオリーブ畑が延々と続く

4:00pm、1日目の宿泊地アイワルク(Ayvalik)に到着。ここも風光明媚なところで、左右が海という、博多の「海の中道」みたいなところを通ってホテルに入った。部屋はオーシャンビュー(^o^)v
 
ラマダンのため、ホテルでの私たちの夕食は7:30という遅めの設定なので、カメラを持って外に出た。海は青くきれいな町並み。
「海の中道」を越えて向こうの町まで歩いた。
途中道端の花を探すが枯れて種をつけたものが多い。どんな花が咲いていたのだろうと興味深い。


 
イガイガのウリのような実、トロイにもあった      どんな花だったか興味津々 
 
トルコ版ひっつきむしかな?               アブラナ科
 
ドライになっていたっ!。エリンジュームのような花? 暗くなってフラッシュたいたので見えにくいですがかわいい花



 この実はなんだろう?おじさんが脚立で採っています。

脚立から降りてきて腰にぶら下げたビニールの袋から手にいっぱいの実をくれました。どうやって食べる?とジェスチャーできいたらこうやってと皮をむいて見せてくれました。ほんのり甘い。柔らかな、ちょっと乾いた食感。おいしい!と指で○サイン。にっこり笑ってサンキューと手を振って別れました。厳つい顔のおじさんも笑っていました。こうやってと、実際口にはいれなかったところを見ると、ああこの人も敬虔なイスラム教徒なのだろうと思った次第です。
あとでガイドさんに聞いたら「ナツメ」だそうです。

直ぐそばの海岸にて。

  
海に夕日がしずむ瞬間を撮ろうと時間待ちの間、夕日のモードはないかとかカメラの機能をチェック。夫のカメラにはそれがあったので試しながらたくさん撮影してみました。どうかな?↓
  
 エーゲ海の島に日が沈んでいきます。夕日モードで撮った写真                 6:46pm日没
 
さあ日が沈んだ。
日の出から日の入りまで飲まず食わずのトルコのイスラム教徒のみなさんお疲れさまでした。たくさん食べてくださいね。それにしても飲み物も絶つというのは過酷な試練ですね。1ヶ月間もつづくのですから。

翌朝は部屋から日の出を撮影。お日さまづくし。
 
6:39am                           7:13am

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