トルコ紀行

種まきおばさんの不思議旅

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その2  イズミール、聖母マリアの家、エフェソスの遺跡からパムッカレへ


青い線の部分


 

エーゲ海を西にさらに南下を続けます。
道路の両側にはオリーブの木。大きい木から植えたばかりの幼木まで、広い耕地に延々と続きます。
大木になっても土はトラクターでちゃんと耕してありますね(右)。とても大事な作物であることがよくわかります。 

おや朝から作業ですね。綿畑。


青い海と白い舟 エーゲ海

 

 大きな街に来ました。ここがイズミール。
イスタンブール、首都のアンカラに次いで3番目の街。人口500万人。
エーゲ海の真珠と言われるそうです。かのアレキサンダー大王もこの地を好んで城を建てたそうです。

バスの窓から


やがて本日のメイン、エフェソスの遺跡に近づきました。
その前に山を登って、聖母マリアの家へ。
西洋陶芸のお向かいの席に敬虔なカトリックの信者さんのご婦人Sさんがおられます。よくマリア様のお話をしてくださっているのでこの方へのおみやげはこんなもの(下をクリック)をつくりました。なんとこのかた10数年前に神父様とここを訪ねたのですって。なつかしいととても喜んでくださいました。80歳を越えていらっしゃるけれど作品もお気持ちもとても若々しいかた。いつも「戦争は絶対にしてはいけません」と美術の道へ進むことを断念させられた若い日のことを話してくださいます。

聖母マリアの家
        
マリア像は両手を広げ、包み込むようなやさしさです。
日本でおみくじをむすびつけるように、ここでも祈りを託したひもや紙がびっしり結びつけられていました。私もひとつ、たったひとつの願いを結んできましたよ(自分のことではありません)。ろうそくを灯すガラスケースの箱、これもそっくりなものが日本の社寺にもあります。トルコに来て不思議な気分。なおマリア様の家の中は撮影禁止です。
そばで巡礼者が神父様の声に唱和して祈りをささげていました。(中左)


エフェソスの遺跡に行く前にまずは昼食。
ここのレストランのお食事は大変においしかったのでぜひともご紹介したいです(~。~)

団体客をたくさん受け入れているのでしょう。とても広いレストラン。
ラマダン中だからかお客は少なかったです。
こんなおしゃれな椅子なのですよ。凝っています。

飲み物はどこに行っても水まで別料金。
夫はいつもビール。たいてい5リラ(1リラ90円)のところが多くて、注文の時「ゴリラ」と言って、添乗員さん「はい、わかりました」(笑)
でもね、ホテルでは高いですよ。8〜10リラくらい。
どこだったか高級ホテルはもっと高かった。ワイン一杯が40リラ!にくらべればまだ安いとしかたなくビールを注文していましたわ。
私はいつも「チャイ」。トルコ風紅茶です。一番安いところで1リラ(ドライブイン)、ふつうは3〜4リラ。トルコではもっぱら「チャイおばさん」でした。
腰のくびれたガラスのコップ、これで飲むととってもおいしい。
断食の国で昼食からビールでもないのですが、トルコの人は異教徒には寛大です。まあそっと・・いただきましょう。


 
どちらも絶妙なお味です。右の何のへんてつもないようなライスに見えますが、ほどよい味のバターライスです。串焼きのお肉も食べやすい。これは周りの人たちみんな感想が一致しました。good!


 
そばのみやげものやさんで。カラフルなお洋服。
右はここで買ったブレスレット。気に入ってそれからずっとつけていました。わずか1、5リラ。安すぎ〜 お母さんと中学生くらいの息子さんで店番をしていました。もっと買えばよかったわ。


エフェソスの遺跡

この呼び方はエフェスとも言われます。日本ではエフェソスと普通言われるしなじみがあるので私はエフェソスと書かせて頂きます。


さて本日のハイライト。エフェソスです。昔、聞いたことがありました。世界史。
南ゲートでバスを降り入場。2時間くらい歩くと聞いて、よいお天気だし、500mlの水を1本。日本のスーパーの袋にいれて持って行きましたが、歩きながら、どう考えてもカッコ悪く、やたら気になりました。写真を撮ってもしっかり写っている!(>_<) ああ、もっとマシな袋がなかったものでしょうか。。

この町の黄金期はBC130年ごろ。ローマ帝国時代、10万人が暮らしていたといいます。
 BC2世紀の遺構
国営アゴラBC1世紀後半アウグストゥス帝がつくった広場 手前は土管     浴場跡↑
 
バシリカ 列柱で囲まれたホール


オデオン 小振りの円形劇場のようなもの 1400人を収容できたという会議場 2世紀


 




美しいレリーフ
 
 
 
  
 
勝利の女神ニケのレリーフ


この遺跡の代表的な通りクレトス通り。ゆるやかな下り坂。円柱や石像が並び、向こうに見えるのは図書館です。2世紀に1万2000冊を擁した図書館をつくったとは(@@) 高度な文化に驚くばかり。
手前のカメラのお兄さんは歩いている観光客をパチパチ写しています。帰りのバスの前にはすでにその写真ができあがり並んでいて1枚5リラで売るという早業!いろんな国の、いろんな団体がいるのに、よくわかるものだ。売っているのは他のおじさんで、このお兄さんは次の写真を撮りに行っているのかもういない。それにしてもバスに帰ってきたのを見てさっとその人の写真を出すのはもう特技というしかありません。私も1枚さし出してもらったので5リラで買いました。自分の写真は写せないし、さすがにプロの写真です。
日本の観光地ではひな壇に並んだ集合写真を撮って1000円ぐらいで売るので安いですよね。
足もと
ゆるやかな下り坂を歩きやすいように石にスジを刻み込んであります。古代の人たちは心を込めて作業したんだなあ。
2000年も経って今の私たちにも、しっかり思いが伝わってきます。(^o^)v
フリーハンドで曲がっている線が妙に親しみを覚えました。
ヘラクレスの門


トラヤヌスの泉


文字・・・これは古代のギリシア語?ラテン語?


 

 
                                            トロイ遺跡の文字


 
                                          トロイ遺跡の彫刻

↑二つの遺跡から出た文字もレリーフの模様も大変よく似ていますね。古代ギリシア?古代ローマ?

これについて調べてみました。この模様はアカンサスという植物の葉をモチーフにした葉飾りのデザインで、古代ギリシアやローマの神殿などの円柱頭に使われた、いわゆるコリント式を特徴づけるもの(イオニア式は渦巻き模様)
ですからこれは本来180度逆転して使われていたのですね。安定しやすいように逆に置いてあったと思われます。
こちらを参考にしてください。


 住居跡

 床のモザイクタイル                     


 


 パドリアヌス神殿
AD138年、パドリアヌス皇帝に捧げられた。4本の柱はコリント式。
 
運命の女神 ティケ                      メドゥーサのレリーフ

公衆トイレ、社交の場?  

下水道 かなり深い


 娼館跡


セルスス図書館 2世紀
1階の柱はイオニア式、2階はコリント式 この地を統治したセルススを偲んで息子が建立。(117〜120年)
正面には知識、学識、聡明、高潔を象徴する4体の女性像・・・これはレプリカ。本物はウィーンにある。
そんなものが多いですね。トロイから出た貴重な遺物も国外に持ち出されて行方不明になっているそうです。

  

ギリシア建築の円柱の様式・・・ありましたねえ。世界史で学びました。
 
 ドーリア式
 イオニア式
 コリント式
  

真ん中にふくらみをもたせたエンタシスの柱、ギリシアのパルテノン神殿が代表的なものですが、文化は遠く東に及びその様式は法隆寺の柱にもあらわれていますね。

これらのギリシア建築様式はローマ建築に継承されたそうです。


図書館から上右のマゼウスとミトリダテスの門をくぐり大劇場までを大理石通り。かつてここをクレオパトラとアントニウスが
歩いたといわれているのですって(@@)

大きな円形劇場 24000人収容。
BC3世紀完成、ローマ時代増築、山の斜面を使ってつくられた劇場は音響効果も抜群だそうです
現在もここでコンサートが開かれるとか。
手前に舞台のようなものがあった(右の写真)


円形劇場全景 大きすぎて全景は少し離れたところから

エフェソスの歴史
BC11世紀(3000年前)、ギリシアからやってきたイオニア人によって都市国家が建設された 交易により発展
BC287  川の土砂に埋もれて疫病が蔓延  4、5km離れた今の場所に移る
BC130頃黄金期 (ローマ帝国支配下) 約10万人が暮らしていたという
ローマ、アレクサンドリアについで人口が多く繁栄していた町
数々の国際会議も開かれていた

この遺跡について大変詳しく記述してあるサイトがありました。もっとお知りになりたいかたはこちらへどうぞ
トルコ語にも堪能で聖書にも大変詳しいお方のようです。


一路東へ。パムッカレへ向かいます。
車窓から見える景色は、ザクロ、ミカン、ブドウ、イチジク畑がつづく。オリーブに代わって果物が多い。気候のせいかな。
とりわけイチジクが多い。トロイにも大木がありましたがイチジクは昔から大切な食べ物であったと思われます。

おみやげに買ったイチジク(ドライフルーツ)・・・5リラ(450円) たくさん入っている!そんなに固くなくておいしい。
表と裏

 ←おや、屋根の上(中央)にビンが。
ガイドさんによると「年頃の娘がいる」という印だとか。嫁に欲しい人がビンを打ち落とすというもの。
でもねジバンさんによればこの家はこの15年ほどずっとビンを置いたままなんですって。まだ嫁に行けないのか? いえこれは観光客むけの話題づくりのようでした。(笑)

町中をカポカポ。牛さんですね。これは綿みたいですね。

 バスの右手遠方の山に白い雪がつもったような場所が見えてきた。それがパムッカレの石灰棚。                       

夕刻パムッカレのホテルに到着。温泉付のリゾートホテル。コテージ風。


 

到着日夕方                         水着姿を遠慮がちに後方から撮影


 
翌日朝の温泉とプール。 パムッカレの石灰棚は真っ白のハズだけれど、ここの温泉は有馬温泉みたいに茶色。
石灰棚風につくってはあります。


日没直後、突然大きな音でコーランを唱える声が聞こえてびっくり。これが町の普通の生活なのですよね。私たちはちょっとおじゃましているだけ。朝5時半頃にも同じ声でコーランが聞こえました。ああ、イスラムの国にいる!


ホテルのレストラン。西洋人が圧倒的に多く、私たち日本人はほんの一部、隅っこに座る。

 

左は全部デザート とってもあまいのだけれど、味ききと称してあれこれと・・・シアワセ〜

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