アジア文化ふれあいセミナー


多文化国家ネパールのカースト制度
ー最下層ーアンタッチャブル(不可触賎民)の女性たち


                   講師:アヌーシャ・マナンタルさん(ネパールからの留学生)
                         プール学院大学国際文化学研究科院生

                   2005年2月12日   アジア交流プラザにて
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            熱心な受講者 約30名?          アンタッチャブルの女性の働きづめの1日

        「カーストとはヒンドゥー教に同化させる課程の中で作りだされた差別的身分制度である。
        カーストはネパール語でジャートと呼ぶ。基本的に4つのBarna(種姓)が確立された。
        バラモン(司祭)、シャトリヤ(王族)、バイシャ(庶民)とシュートラ(賎民)である。」              
                                         アヌーシャさんの講演レジメから引用

 インドのカースト制度のことは中学校でも学ぶところで私達は少しの知識はあるが、ネパールでも色濃く存在することは少なくとも私は知らなかった。
ネパールは60以上の民族がいて、うち86.5%がヒンドゥー教徒という。
バラモン、シャトリア、バイシャがタッチャブルで、最下層のシュートラに属するダリットと呼ばれるアンタッチャブルつまり不可触・・・「こっちへ来ないで」「さわらないで」とされる人々のことが今日のテーマであった。
 ダリットとは「困窮した人々とか、押しつぶされた人々とか抑圧されている人々」のこと。そして「農奴、皮剥ぎ、し尿くみ取りなどの不浄な職業をを強いられている」。1963年に新しい民法ができて建前では不可触は廃止された。しかしダリットはその代名詞として使われヒンドゥー国家ネパールに深く根付いてしまったという。今なお差別が社会に厳然と存在しているのが実状のようである。全人口の20〜25%、500万人ものダリットがいるという。

 1990年、民主化が進み、3つの大きな事件を契機に改善の運動が始まった。
@ミルク販売事件・・・ミルクを直接に売らせてもらえない。A寺の出入り事件・・・自由に出入りさせてもらえない、仏像にもさわれないように囲い、B水くみ事件・・・水くみは女達の大切な仕事であるが直接水をくませてもらえないことに発したトラブル
その3つの事件の背後に共通していることはダリットの手にかかると「汚い」という差別意識である。

アンタッチャブルの女性達は大変な働き者にもかかわらず経済的にも社会的にもきわめて低い地位に置かれているそうである。アヌーシャさんは教育、仕事、男女差別、女性の人身売買、未亡人、Dawry制度などから女性達が抱えている問題について話して下さった。
第1にアンタッチャブルの女性はほとんど学校へ行かせてもらえない。家庭の貧困から家の仕事をさせられたり、休みがちになるうちに学校に行かなくなる。男の子は良い学校へ行くというのに。また女が教育を受けることで、自立に目覚めることをおそれていることもあるようだ。女性は早朝から晩まで家事に、育児に、家畜の世話に、野良仕事にと、休みなく働きづめなのに、男達は日ながトランプに興じ、たばこをふかしだらだらとすごしている人が多いという。
そんな男を敬い、祭りには一日何も食べないで夫や男兄弟だけの長寿、健康をひたすら祈るという女達。人身売買や売春も経済的な困窮からであり、若くして未亡人になってもおしゃれも出来ない(白い服を着せられる)、再婚もできない。Dawry制度という嫁入り道具や持参金のことで不十分なら婚家で肩身の狭い思いをするという。そこで男の子を産むことを望みそれが次の世代につながることで安心する。ここでは女の子は産まれる前から差別を受けているのだ。

 全てが男性中心の社会で、「どこまで女性は虐げられているのだろう」というのは外から見た者の感想であり、当の女たちはどうだろう。それに不平不満を感じていないのかもしれないと思う。「教育がないので批判もなく『それが私の人生』と思ってしまう」とアヌーシャさんも言っていた。生活の全てを支配するヒンズー教から来る習慣的な差別はおいそれと変えることは困難であろう。でもそこで女たちがふと疑問を持ったなら、社会は変わるかもしれない。悪循環は断ち切れるかもしれない。それはただひとつ、教育によること。

先の3つの事件での改善の兆しをさらに押し進めるためには、とくにダリットの女性に教育の機会を与えなくてはならないだろう。成人教育も含めて。差別のない社会、それはネパールにとってまだまだ長い道のりであることを思った。
身分差別も男女差別も決して遠い昔のことではない我が国であるが、民主主義や人権を尊重することを学んで確かに変わってきたと思う。彼女はネパールを出て日本に留学したことでまた違った目で自分の国を見られるようになったと言っていた。来日5年でとても上手なきれいな日本語を話すことができ、優秀な学生である彼女の話を聞いて、私はネパールの明るい未来を信じたいと思う。
参加者の熱心な質問意見が相次いだ。「ネパールを旅して子供たちのすばらしい目の輝きを見た。ネパールの未来は捨てたものじゃないですよ」と言う女性がいたが、なんだか私もほっとしてうれしく思ったことである。

Anusha Manandharさん ご主人のIshwor Paudelさん
お二人のかわいい赤ちゃんAiriちゃん
私のネパール語の先生です。