岩村昇先生をしのぶ

故 岩村 昇先生 感謝と送別の会

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   「生きるとは分かち合うこと」  2005年12月16日 神戸YMCAチャペルにて

 生涯を通じて途上国での医療活動に尽力され、「アジアの赤ひげ先生」ともよばれていた、元神戸大学医学部教授岩村昇先生が去る11月27日78歳の生涯を閉じられました。
1962年から18年間にわたって史子夫人とともにヒマラヤ・ネパールの山村に移り住んで献身的に医療に取り組まれ、多くの人に感銘を与えたことはみなさんもよくご承知のとおりです。そして私もその一人で、以来ずっとネパールに関心とあこがれを持ち続けることとなりました。
 私は先生とは一面識もありませんが、訃報の記事は衝撃的でした。そしてお別れの会が開かれると聞いて、12月16日、一人で神戸YMCAチャペルに行きました。どうしても感謝を伝えたくて・・・












左の写真と言葉をカードにして、参列者全員にいただきました。
5年前にはお元気でネパールへいらっしゃったんですね。
先生はネパールは「行く」のではなく「ネパールへ帰る」とおっしゃっていました。

 先生は熱心なクリスチャンでいらしたので感謝と送別の会はキリスト教式によりおごそかにおこなわれました。
主催は神戸キリスト教青年会(YMCA)、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS),PHD協会
JOCSは先生をネパールに送り出した団体、PHD協会は1981年先生が提唱され設立された、平和・健康・人づくりの観点でアジアの研修生を受け入れる神戸を拠点とした草の根運動。

 岩村先生の生き方に影響を受けた多くの人々が式場に入りきれないほど集まりました。遠くはアメリカから、医学生だった頃ネパールで働く岩村先生の姿を見て学び、今40ヶ国以上で120のプロジェクトのリーダーとして重要な働きをされている著名なお医者様ご夫妻もおいでになりました。岩村博士との出会いによって医師としての確信を得たと話されました。
 先生のお好きだった讃美歌が3曲選ばれていてオルガンにあわせてみんなで心を込めて歌いました。さすがにみなさんお上手で自然に2部合唱にもなって、歌っていても本当に心地よいものでした。






 その後、先生の活動を表す資料が展示された会場に移り、史子夫人と養女として育てられたマヤさんを囲んで和やかな歓談がもたれました。私はほかに知人もなく・・・でもそんな私でも入っていける雰囲気にあふれていて、写真も撮らせていただきました。思いがけずおひとりだけ、その昔訪ねた芦屋三条教会の牧師夫人に会って手を取り合って再会を喜びました。


史子夫人

マヤさん
ネパール語で愛という意味

  史子夫人はご挨拶の方が列をなしていて一人一人に丁寧にお話をなさっていました。
先生はいつも「お母ちゃんはえらい!」とおっしゃっていたそうで、ほんとうによきパートナーでいらっしゃったのですね。


展示より



岩村記念病院


 史子夫人の『わが愛はヒマラヤの子に』という著書の表紙で見たかわいい笑顔が忘れられなかった幼い頃のマヤさん。40年後のそのマヤさんに会うことができたのです!これは感激でした。この本のことを話し「ずっとあなたのことが心の中にありましたよ。マヤさんにあえてとてもうれしいです」と言ったら「ああ、あの本ですか」とはにかんだ笑顔を見せてくださいました。
 あとで、こんな時にこそネパール語で言えばよかったと思いました。やっぱり身に付いておりません・・・
マヤさんは日本で暮らし、先生のそばにいてよくお世話をなさったそうです。


この本は若き日に読んだもの。
郷里の実家で探し出してきました。
           昭和40年 朝日新聞社発行 340円