6月13日、かねてより念願だった兵庫県立考古博物館に行きました。なぜに考古博物館か、そこからお話しなければなりませんね。
実は10年ほど前までたねまきはここの前身、兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所というところで働いていました。嘱託職員です。土器の復元もやりましたが土器や木器の実測図を書いていた時期が長かったです。この仕事は大変おもしろくてできれば定年まで続けたいと思っていました。。
これが博物館の建物です。この階段の上がどうなっているか今回は確かめないまま。不思議な建物。入り口は右奥です。
Past&Futureのシンボルマークは「子どもの二つの手で、茶色は埋もれた過去を探る手、緑は未来をつかむ手」を表しているそうです。なるほど。よくできている〜温故知新つまり「古きををたずねて新しきを知る」。歴史を学ぶ原点ですね。
昨年10月県立の考古博物館として加古郡播磨町(明石市と加古川市の間)に新たにオープンしました。
子どもたちの目線で展示が工夫され、参加体験型を取り入れた新しい博物館です。私のいた頃発掘されて注目を集めた遺跡や整理作業にたずさわった遺物が記録、保存処理を終え展示されていて、懐かしく、また、感動的でもありました。
とくに律令国家時代の砂入、袴狭遺跡(但馬、すないり・はかざいせき)から出た貴重な墨書土器、木簡、大量の人形(ひとがた)、馬形(うまがた)、斎串(いぐし)などの祭祀具が壁一面に展示してあるのは圧巻でした。私が図面を書いた見覚えのある顔、顔、顔。馬、馬、馬。ここは撮影禁止なのでどんなものかお見せできないのが残念です。
一通り見終えた後、館内できょろきょろしていましたら、あちらから職員さん4人が。誰かなあと思っていたら向こうからめざとく私を見つけてくださって「おぉ〜お久しぶり!」と寄ってきてくださいました。10年もブランクがあるのに私を覚えてくださっていて感激。それからOさんがお忙しいでしょうに館内をあちこち案内して下さいました。ボランティアを養成し、日頃館の活動を支える考古学者ならぬ「考古楽者」に注目しました。組紐の体験講座のための準備に楽しそうな数人。それから遺物整理作業をしている様子も展示に組み込まれているわけですが(ガラス越しに見える)、特別に復元や、図面を書いているお部屋にも案内してもらいました。「あなたの知っている人がいっぱいいるから」と。職員さんも、嘱託員も、おぉ〜なつかしい人だらけ。みなさんとにこやかに挨拶を交わしましたが、不思議と名前がすらすらと出てくる私でした。同じ遺跡で図面を書いていたMさん(今はKさん)はあのころと同じように緻密なきれいな線の図面を制作中でした。あぁ〜あなたはあれから10年も書き続けたのねえ〜そしてこれからも。
職場が神戸の都心に近い便利な場所から、遠くへ(JR土山駅から徒歩で15分)移転したけれど、みんな辞めないで仕事を続けている事を知りました。すばらしい!
実測図とその道具いろいろ トレース
右半分が断面(厚み)左半分が表面の模様等。円形の土器についている模様や技法の特徴を平面に割り付けて書きます。この割り付けはちょっとむずかしい。報告書に欠かせない図面です。
私も体験。
左は瓦の拓本、ここは鉛筆で。これはほんとうの拓本とは逆に白黒がしあがりますね。右は瓦をふいてみる。
(遺物整理の展示から。ここは撮影OK)
その後木器保存処理や実測でお世話になっていた職員、Fさんに展示の説明、とくに苦労話、裏話を親しく聞かせていただきました。館の開設準備から携わり、今、学芸員として展示の企画などやっているかたです。
いただいた特別展の図録2冊
人形(ひとがた)をつくって流す催しがあるようですよ。Fさんのお得意の分野かな?クリック!
人形(ひとがた)、馬形(うまがた)がどんなものかみなさんにわかっていただくために、すでに世に出ている報告書から、少しだけ載せさせてください。著作権など難しい問題がありますことは承知しております。詳しくは刊行されている本をご覧下さい。
アップロードにあたり、引用の取り扱いについて博物館にたずねました。出典を明らかにすることで載せてもいいというお返事をいただきました。ありがとうございます。(20080615)
ひとがたは顔を墨でかいたもの、線刻、なにもないものいろいろです。馬形は左の写真右。
肩の部分に書き込んである帯状のものは断面図。厚さと木取りがわかります。ほかに斎串(いぐし)もあります。いずれも祭祀具。
左上 『砂入遺跡』 図版81より
( 兵庫県教育委員会 平成9年3月31日発行)
右上 『砂入遺跡』 図版79より
(同上)
左横 『袴狭遺跡』 図版216,217の一部
(兵庫県教育委員会 平成12年3月31日発行)
この切り抜きは神戸新聞
2008年2月24日朝刊から。
この記事を書いた記者は私の知り合いです。記事にする前にメールがきて、仕事で考古博を調べているがHPに私によく似た人を発見したといいます。びっくりして見てみるとそこになんと10年前の私メが!古い写真をつかっているねと笑ったことでしたが(まだ現在も使っているかは確認していません)、10年も若い自分に会えて喜んでもおりました。(笑)
字までは読めませんね。でも見出しを見て頂けたら記者さんが書こうとしていることはおわかりいただけるでしょうか。「文化財は保護するだけなく、活用し意義を伝えてこそ意味があります」というY企画広報課長の言葉を紹介しています。伝えるための様々な工夫がなされたことをあげ、そして「『なぜ』『知りたい』と思ったら、そこが『考古学』の入り口です。」と書き、「遠い時代に生きた祖先たちは、わたしたちに何を語りかけ、未来へ何をたくそうとしているのでしょうか。考古博物館でヒントをさがしてみましょう。」と結んでいます。さすがに新聞記者さん、よく書けていると思いました。
母の介護のため辞した仕事でしたが、5年後母を見送ってからすぐに私の悪い病気が発覚。また5年過ぎました。
「叶わざる夢のひとつを封印す 追わず語らず静かに胸に 顕子」
これは乳ガンの記録のところでご紹介したことのある、病を得た知人の歌です。心から共感できる歌です。
私にも封印した夢はいくつもあったけれど、また新しい喜びにも出会うことができました。そのひとつは文句なしに園芸です。種まきして花を育てる喜び、花を通じた友達との交わり、ボランティアとしての市民活動の取り組み(オープンガーデンや市民花壇)もかけがえのないものになりました。そして仕事として文化財に関わった12年間もまた、私の人生で何ものにも代え難い大切な時期でありました。古巣でもあり新たな出発をした考古博をたずね、こう確信できたことはとても幸せなことだと思います。
帰り道、駅まで“であいの道”として整備されたところを歩きながら、おや、たくさんのチョウのようなものがひらひらと・・・なんだろうとカメラを取り出しました。行き交う人が「チョウですかね?」、「いえ、これは蛾だと思いますよ」 私はキッパリ答えました。このごろ少しだけ虫の知識が増えた私です。K様始めBBSのお仲間のおかげです。カノコガはもっと身体が太かったし・・・そのときは名前がわからなかったのですが、ふと思い出しました。昨年の今頃浜風さんが載せてくださった写真にチョウ博士Kさまが『ウメエダシャク」とお答えいただいたのです。たねまきのBBS昨年5月28日〜30日頃の記事です。記事no.755〜761あたりにあります。これですね。(^^?
ひらひらと紙吹雪のようにそれはたくさん。ところでこの木はなんでしょうか?。
おやこれはウラギンシジミではないかしら?右の羽根上部が欠けています。シジミチョウにしては大きく、足が太いですね。
はねの表にオレンジ色は見えなかったので♀のほうでしょうか。
右側のはね上部が欠けている 左側は完全
そう〜、こうしてホームページを綴ることも、チョウや虫たちに目をとめるようになったことも、新しく発見した喜びです。私にとってとても幸せなことでもあるのです。(^・^)
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