広島県福山市鞆町
訪問日・・・2010年2月22日
鞆の町並ひな祭りのことは以前から聞いていて、行ってみたいと考えていました。
私の郷里(岡山県の南西部)に近く、子供の頃からデパートのある大きな町といえば福山でした。その南に鞆はあります。
郷里は海抜600mの高原地帯にあり、はるかに瀬戸内海を見晴らせるところで、あれが福山の山よ、そばに浮かぶ島は鞆の仙酔島(せんすいじま)よと聞かされて育ちました。そんななじみの町でもあるのです。
中央右の屋根のような大きな山が福山の南、沼隈半島の山。そのすぐ左にうすく見える島が仙酔島。
(撮影は従弟赤木信斎 弥高山から)
団体のバスツアーですが、昼食の雛御膳も楽しみのひとつでした。
ホテル欧風亭にて
お刺身はひな人形の形に巻き、鞆といえば鯛ですから鯛飯 鯛の煮付けもあります。盛りつけはきれいで、お味は上等でした。甘酒もありましたわ〜これはよかったです♪左上の写真クリック
港 これが仙酔島
渡船、平成いろは丸 5分で島に着きます。島にはなぜだか狸が住んでいます。橋はないのにどうやって住みついたのでしょうかね。「えさをやらないで」という看板があったので飼っているわけではないみたい。ほんものの狸の顔をまじまじと見ましたよ。かわいい〜
国民宿舎はあるけれど人が住んでいる気配はありませんでした(調べたら無人島だそうです)。いろは丸もそうですが、今龍馬ブームで、鞆の地にも足跡があるため龍馬の特別展示もやっていました。
さてすぐに戻って鞆の町並みの散策です。
道ばたにサヨリの干物。 船着き場から海沿いを歩いて太田家に向かう
まずは江戸から栄えた造り酒屋太田家住宅、国の重要文化財になっています。立派なお屋敷で、おびただしい数の雛が飾られていました。
江戸時代初期から明治34年まで保命酒を製造。建物は18世紀中期〜19世紀前期頃築造。
長州藩など参勤交代の西国大名の宿でもあった。(海の本陣)
網代天井
店土間の幾何学的な模様がモダン。瓦としっくいでつくられているそうです。上の2列、色が薄いですが、これが当初からあったものだそうです。濃いほうは復元したもの。
酒蔵でも雛の展示。
鞆の町並み
古い町並みの景観。ウン10年前に見たふるさとの家並み(昔の市場町・門前町)や、高校があった井原の町にも通じるような、懐かしさを覚えました。距離的にも近いし家並みも似て当然かもしれません。言葉だって同じようですもの。
ここには保命酒(ほうめいしゅ)という昔からの名酒(薬酒)があります。養命酒のようなものだけれど、薬効成分がもう2種類多く入っているとか。
先の太田家でもこの酒をつくって財をなしたそうです。右の入江保命酒さんで試飲させてもらいましたが、そうねえ、やたら甘みを強く感じました。ほんの一口なのにすぐに顔がほわーんと温かくなりました。
町並ひな祭りとして、鞆町を挙げてくりひろげられています。ひとつの町起こし風?ふつうのお宅でもこの旗を掲げてあるところは家に(多くは店先)入って見学できます。右の写真の家も公開している一軒ですが焼き物をやっているらしく、店先に器や大小の猫がごろごろ。よほど猫好きなのでしょう。
このひっくり返った猫が気に入ったと夫がしきりに言うのでここに載せてあげましょう。
龍馬が泊まった桑田家のおひな様。説明役のご婦人が二人詰めていて熱弁をふるっておられました。
ちくわの製造所でお買い物をして、帰途につきました。
鞆と福山の市街地の間には芦田川があります。予想以上に大きな川。
芦田川
この川の中州に草戸千軒町という中世の遺跡がありました。鎌倉から室町にかけての遺構です。
芦田川の河川改修工事で発見、昭和36年から平成5年まで48次にわたって調査されました。
埋蔵文化財の仕事をしていた頃、時々レポートが課せられましたが、私はこの草戸千軒町遺跡を調査し復元した広島県立歴史博物館の展示についてレポートを書いたことがあります。青春18切符で福山駅すぐ北のこの博物館に行きました。
中世の遺構がそっくり発掘され中世の町並みが実物大で再現されていて、これは驚きの連続でした。
塗師あり、下駄やあり。ついさっきまでそこで仕事をしていたような店先、奥から「へい、いらっしゃい」とおじさんが手をふきふき出てきそうな、そんな気がしました。人々の、とりわけ庶民の文化や暮らしぶりがうかがえてとてもおもしろかったのを覚えています。そんなことをふと思い出しながら大きな川をみつめました。
みなさんも機会がありましたら広島県立歴史博物館にお出かけくださいね。
参考